涙腺崩壊!涙なしでは見られない切ないコピペ

2018年11月29日更新 view: 29 view

悲しくて、切なくて、思わず泣けてしまうコピペ

会社が棚卸しで振り替え休日があったので
会社の若い連中、男女3:3で海にドライブに行った
私は途中で腹が減ると思ったので
人数分×3個のおはぎを、前の晩からこしらえた。
「気のきく人」と思われて好感度アップ間違い無しと確信して
寝不足ながらウキウキ気分で出発。
ひそかに思いを寄せるN男さんもお洒落な服で張り切っている。
10時ごろ、ブサイクな同僚♂(29才喪男)が
「ソフトクリームがたべたい」と言い出したので
私は「お、おはぎならありますけど・・」とやや控えめに
18個の色とりどりのおはぎ(あん・青海苔・きなこ)を紙袋からとり出した。
一瞬「しーん」となって、ブサイクな同僚♂が
「喪女さんが握ったの?うわwwおばあちゃんみたいwww」と言った。
他の女が「ちゃんと洗った手で作ったの?今の季節雑菌は危ないよ、ほら、ここやばくない?」と言った。
爆笑が起こった。18個のおはぎは誰の口にも入らなかった。
私はほぼ半泣き状態で、おはぎをしまった。
人づてに聞いた話だけど、N男さんも「ちょっとあれは食べらんないw」と
言っていたらしい。

うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんて無かった
だから写真の変わりに母さんが色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた
絵は上手じゃない
ただ、どうにかして形に残したかったらしい
ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた
絵の隣に『キゲンが悪いのかな??』とか『すやすや眠ってます?』ってコメント付きで
小学四年生の時、家に遊びに来た友達数人に、そのアルバムを発見された
めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた
友達が帰って直ぐ、俺はアルバム三冊をバラバラに破いてゴミ箱に捨てた
パートから帰って来た母さんがそれを見つけて、泣きだした
破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた
翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた
「恥ずかしい思いさせてごめんね。でもね、これ、母さんの宝物なんよ」
申し訳なさそうに優しくそう言われると、涙が溢れ、俺はごめんなさいと謝った

とても好きだったんだけれど、
おっとりした人で、
神経質な私をいらいらさせることもあった。

でも夫は、仕事のことで不機嫌になり、
なにも悪くない夫のことを
私が邪険に取り扱っているときでも、
いつも私のことを気遣ってくれる人だった。

私が体調悪いときは、
仕事を途中で抜け出して帰宅し、
その後仕事に戻って徹夜するような、
自分がどんなに無理しても
私の面倒を見てくれる人だった。

夫婦の家事分担は、
私も仕事を持っていたので、
食事・洗濯等は私がやる代わりに、
使用した食器の洗浄は
夫の担当ということになっていた。

当時夫は、連日日が替わってから
家に帰るほどの激務が,2ヶ月も続いていた。
でも文句も言わず、
深夜私が寝付いた後に帰宅して、
私が用意しておいた食事を食べ、
夜中に私の分も含めて
ちゃんと食器を洗ってくれていた。

そんなある朝、私が起きると、
台所に洗っていないままの食器が放置されていた。
きれい好き、整理整頓好きだった私は、
我慢が出来ず、その後起きてきた夫をなじった。

「ちゃんと洗っておくって約束したでしょ!
なんでやってないの!!」
夫は「ごめん、やるつもりだったんだよ。
でももう3時前だったし、
疲れてベッドに横になってたら、 寝ちゃってて。」
「まだ時間あるから出勤前にやっておくよ」
と謝ってきた。

私は、「言い過ぎた!ごめん!」
と思ったが、なぜか態度には出せず
「私が帰る前にちゃんと洗っておいてね。
でないともうご飯作ってあげないよ。」
と言い放った。
もちろん、冗談のつもりだった。

夫は私よりも出勤時間が遅いので、
出勤する私をドアまで見送り、
キスをするのが毎朝の習慣だったが、
私はキスをしたそうな夫を無視して、
「じゃあ、ちゃんと洗っておいてね」
と言い捨てて出勤した。

夫はドアの向こうで、笑顔で、
でもほんの少し悲しそうな表情で
「わかったよ、気をつけてね。」
と手を振っていた。

それが、生きている夫を見た最後だった。

その日の午後、会社に電話が入った。
夫が事故にあったという報せだった。
病院にかけつけたとき、
すでに夫は、この世の人ではなかった・・・・。
冷え性の私の身体を、
ベッドの中でいつもあっためてくれていた夫の手、
その手を握り締めたが、とても冷たかった。

あまりのショックに何も考えられず、
呆然としたまま家に帰った。
ふと台所を見ると、今朝洗ってなかった食器が、
綺麗に洗われて、水切りかごにならべられていた。

涙があふれ出てきた。
最後に見たドアの向こうの夫の顔、
そしてあの冷たい手。
その二つだけを思い出しながら、
何時間も、何時間も、ひたすらすすり泣いた・・・・

「パパ~馬鹿って何~?」
「相手に何かを伝えるとき、簡単に済むことでも、
わけのわからない長ったらしい方法で伝えようとしてしまって
結局相手に何が言いたいのか伝わらなくなってしまうような人のことだよ
わかったかい?」
「わからないよパパ」

バイト先に彼氏いない歴25年らしい大人しい子がいた。
局の子にお昼おごらされたり、
派遣社員の子から高額なマルチ商法の商品買わされたりしてた。
皆が「アイツはお人好しだから何言っても絶対断らない」と
学生のイジメのようにバカにして嫌な事押し付けたりしていた。
もともとその子を優しくて良い女だと好感を抱いていた上に
この子なら断らないかもと思った俺は彼女を休日に食事に誘ってみた。
生まれて初めて女性からOKをもらい、嬉しくて店を色々調べて下準備し、
当日は思いきりお洒落してピカピカに洗った車で迎えに行き、
頑張って話を盛り上げてご飯を御馳走し、家まで送り届けた。
とても楽しくて何度も誘った。彼女も楽しんでくれていると思った。
段々好きになって今度告白しようと決心して食事に誘った時、
「本当はずっと嫌だった。もう誘わないで欲しい」と言われた。
彼女の顔は気の毒になる位必死だった。きっと決死の思いで言ったのだろう。
「ほら~!麻衣、ちゃんと断れるじゃないですか!
今度から嫌な事 頼まれたら、今みたいにビシッと言えよ!
俺、ずっと麻衣が何言っても断れないの、心配したよ!」
と、俺は泣き出しそうなのをこらえて出来るだけ明るく元気に取り繕った。
彼女はとてもホッとしたような顔をして何度も俺にお礼を言った。
俺から好かれている訳じゃない事がわかって、そんなに嬉しかったのかな。
昨日の話です。もう色恋は諦めますた。一生童貞でかまいません。

昨日、恋人が死んじゃったんです。病気で。そしたらなんか通夜が終わって病院に置いて来た荷物とか改めて取りに行ったら
その荷物の中に俺宛に手紙が入ってたんです。
で、よく見たらなんか「わたしの人生は普通の人よりも短かった、だけど〇〇君と一緒に過ごせたことで普通の人よりもずっと幸せな日々を送れた」、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、そんなこといまさら言ってんじゃねーよ、ボケが。
死んだ後だよ、もうお前いねぇんだよ。 なんか最後の方はろくに起き上がれもしなかったくせに。

弱々しい字で必死で書いてたのか。おめでてーな。
よーし〇〇君のことずっと見守ってるぞー、とか書いてるの。もう見てらんない。
お前な、俺だってまだ言いたいこと沢山あったんだから生き返ってこいと。
愛の言葉ってのはな、もっと生きてるうちに伝えるべきなんだよ。初めて出会った頃みたいにドギマギして恥ずかしさの余りいつ心臓が破裂してもおかしくない、
言おうか言わざるべきか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。

今になってこんな事言い出すやつは、すっこんでろ
で、やっと涙堪えながら読み終わったと思ったら、最後の方に、
「わたしの事は忘れて他の人と幸せになって欲しい」、とか書いてあるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、俺はお前がホントに死んだなんて信じらんねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、見守ってる、だ。
お前は本当にこの世にいないのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。

お前、これは全部タチの悪い夢でホントはどっかで生きてるんちゃうんかと。
独り残された俺から言わせてもらえば今、お前に対してできる供養はやっぱり、お前の事を忘れないこと、これだね。
たとえジジイになってボケたとしても。これが俺の生き方。
お前との思い出ってのは俺には辛すぎる。そん代わり忘れない。これ。
で、それにお前の事をずっと想い続ける。これ最強。

しかしこれを貫くと次から恋人が2度と出来ないかもしれないという危険も伴う、諸刃の剣。
軟弱者にはお薦め出来ない。
まあお前みたいな寂しがりやは、俺がいつかそっちに行くまで待ってなさいってこった

「沖縄に行かない?」
いきなり母が電話で聞いてきた。
当時、大学三年生で就活で大変な頃だった。
「忙しいから駄目」と言ったのだが母はなかなか諦めない。
「どうしても駄目?」「今大事な時期だから。就職決まったらね」
「そう・・・」母は残念そうに電話を切った。
急になんだろうと思ったが気にしないでおいた。

それから半年後に母が死んだ。癌だった。
医者からは余命半年と言われてたらしい。
医者や親戚には息子が今大事な時期で、心配するから連絡しないでくれと念を押していたらしい。
父母俺と三人家族で中学の頃、父が交通事故で死に、パートをして大学まで行かせてくれた母。
沖縄に行きたいというのは今まで俺のためだけに生きてきた母の最初で最後のワガママだった。

叔母から母が病院で最後まで持っていた小学生の頃の自分の絵日記を渡された。
パラパラとめくると写真が挟んであるページがあった。
絵日記には
「今日は沖縄に遊びにきた。海がきれいで雲がきれいですごく楽しい。
ずっと遊んでいたら旅館に帰ってから全身がやけてむちゃくちゃ痛かった。」
・・・というような事が書いてあった。すっかり忘れていた記憶を思い出す事が出来た。

自分は大きくなったらお金を貯めて父母を沖縄に連れていってあげる。
というようなことをこの旅行の後、言ったと思う。
母はそれをずっと覚えていたのだ。
そして挟んである写真には自分を真ん中に砂浜での三人が楽しそうに映っていた。

自分は母が電話をしてきた時、どうして母の唯一のワガママを聞いてやれなかったのか。
もう恩返しする事が出来ない・・・
涙がぶわっと溢れてきて止められなかった。

幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、
個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、
日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、
母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、
外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、
母に孫を見せてやることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。

僕はご主人様に拾われました。
毎日、おいしいご飯をくれました。
外で汚れたら、お風呂で洗ってくれました。
いつも、いっぱい遊んでくれました。
たまに、イタズラして怒られました。
けれども、すぐに頭なでてくれて許してくれました。
ご主人様が泣いて帰った時、僕が慰めました。
そしたら、いっぱい僕を抱きしめて、いっぱい泣いてました。
いつも、ご主人様の布団で寝かせてもらいました。
いつも、ご主人様の暖かさが伝わってきました。僕の体が痛くなって、ご主人様は夜中に走って病院に連れて行ってくれました。
病院で先生のお話を聞いて、ご主人様泣いてました。
家に帰っても、ご主人様は泣いてました。
だから僕はまた、ご主人様をなぐさめました。
そしたら、ご主人様は僕を抱きしめて、『ごめんねごめんね』っていっぱい泣いてました。

数日後…僕は体が動かなくなりました。
ご主人様は僕を抱きしめて、また泣いてました。いつもより、いっぱい僕の名前をよんでくれました。
ご主人様、なんで泣いてるの?また僕が慰めました。

僕は…少し眠くなりました…
ご主人様がもっと強く抱きしめてくれました。
ご主人様、なんで泣いてるの?また僕が慰めました。
僕は…少し眠くなりました…
ご主人様がもっと強く抱きしめてくれました。
ご主人様の暖かさがいっぱい伝わりました。
ご主人様…僕が起きたら、またいっぱい遊んでください。
僕はすごく幸せです。おやすみなさい。
僕は…眠りにつきました…

小学校6年くらいの時の事
親友と、先生の資料整理の手伝いをしていた時、
親友が「アッ」と小さく叫んだのでそちらを見たら、名簿の私の名前の後ろに『養女』と書いてあった。
その時まで実の両親だと思っていたので心底衝撃を受けた。
帰り道、どんな顔で家に帰っていいか分からず、
公園のブランコに座って立てなくなった私に、親友はずっと付き添っていてくれ、
「よし、じゃあ私と姉妹の盃を交そう」とか言って、
カバンからメロンのアイスの容器(メロンの形のやつ)を出して、水道の水をくんで飲んだ。
一体何のテレビを見たのか、「盃の契りは血のつながりより強いんだよっ」なんて
メロンのカップ片手に言う親友がおかしくて、思わず泣きながら笑いあった。
十数年たって私が結婚する事になり、結婚直前に二人で酒でも飲む事にした。
『あの時はありがとう』と、驚かそうと思って、あの時もらったメロンのカップを
カバンにこっそり忍ばせて飲んでたら、突然親友がポロポロ泣き出して
「あの時、あの時、気付かせてしまってごめんね」と。
『養女』の文字を隠さなかった事をずっとずっと悔やんでいたと泣いた。
そんな事、反抗期に親に反発しそうな時も、進学の学費面で親に言えなくて悩んだ時も、
机の上でメロンのカップが見守っていてくれたから、
あなたがいてくれたからやってこれたんだと伝えたかったのに、
ダーダー涙流しながらダミ声でドラえもんのように「ごれ゛ぇ~」とメロンのカップを出すしかできなかった。
親友もダーダー涙流しながら「あ゛~ぞれ゛ぇ!」と言って、お互い笑って泣いて、酒を酌んだ。
もちろんメロンのカップで。
もうすぐ親友の結婚式があるので思い出した。

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横浜での話だったと思う
中学生くらいの男の子と母親が信号待ちをしていた
見るからに大切に育てている息子
でもマザコンチックであったり、教育ママ的でもなく、
微笑ましい関係が見ただけで判る、そういう親子

信号待ちをしていた親子に車が突っ込んだ
車は息子だけを轢き、母親は呆然と立ちすくんでいた

周囲の人々が、車の下敷きになった息子を助け出し、救急車を呼び、
辺りは人々が取り囲み騒然とした

息子の腕はちぎれ、足は関節がいくつも出来たように折れ曲がっている
その顔は苦痛に歪んでいる
助かるかどうかは判らないが、とりあえず今は生きている

すると母親が突然叫んだ
「殺しましょ、ね、殺しましょ。このまま生きていても苦しいだけだし、
腕もどっかいっちゃったし、足も変だし、殺しちゃいましょうよ、ね、ね、ね!!」

周囲の人々に訴えかける。
救助活動をしていた市民が母親に「お前それでも母親か!」と言っても
「殺しましょ。もう一回車で轢いてよ!」

その後は救急車が来て、どうなったかの顛末は判らない

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