楽天に、自由獲得枠での“ドラフト1位”入団一場靖弘が今年8月22日に自己破産した理由

2019年12月10日更新 view: 14 view

今年8月22日に自己破産

matomater-original

プロ入り前から、波瀾の人生。2004年のドラフトでは、各球団が獲得合戦を繰り広げた「10年にひとり」の有望株。だが、大本命だった巨人をはじめ、 阪神、横浜などから「栄養費」という名目で “裏金” を受け取っていたことが発覚。新設球団・楽天に、自由獲得枠での “ドラフト1位” 入団で落ち着いた。

その15年後、いまはユーチューバーだ――。

matomater-original
スポンサードリンク

購入時にローンを組んだのが、2018年、不正な不動産融資が発覚して社会問題になった「スルガ銀行」だった。

「プロ野球選手ということもあって、ローンを組めたのがそこだけでした。引退後、ローンを月々約30万円返しても、元金が数千万円から減らない状態になりました。正直言うと、支払いがキツかったんです」

 2015年9月に電気機器販売代理店を退職し、2019年11月にユーチューバーに “転職” するまでは、外資系保険会社で4年間働いていた。


「そのときの営業の仕事は、完全歩合制でしたが、そのぶん経費もすごくかかっていました。稼いでも経費で全部出ていくという生活で、このままでは家族にも負担を強いるだけだと思いました。そこで今年8月、弁護士と相談のうえ破産し、仕事も辞めました」

開設した「一場靖弘のBASEBALLチャンネル」をメインに活動しつつ、芸能事務所にも所属している。ちなみに同チャンネルでは、「栄養費」騒動や、戦後最多の「シーズン107奪三振」を記録した、明治大学時代の裏話を披露している。

「ユーチューバーになったのは、指導者への第一歩なんです。将来的には、指導者として甲子園を目指したい。いろいろ不安はあるけれど、もう失うものはない。

引退したときは、『一場』という名を知られたくないとも思いましたが、いまは “消えかかっている” 自分の名を知ってもらって、指導者への道をこじ開けたい。今ユーチューバーや芸能活動を始めなかったら、手遅れになると思ったんです」

一場 靖弘(いちば やすひろ、1982年7月5日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手(投手)、YouTuber。所属事務所はグリントエンターテインメント。元妻は元タレントの安田芽衣子。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

桐生第一高等学校では2年時に第81回全国高等学校野球選手権大会に2番手投手として出場。正田樹をエースとして群馬勢初の優勝に貢献した。甲子園のマウンドでは145km/hを計測した。3年時には背番号1を付け、再び第82回全国高等学校野球選手権大会への出場を果たしたが、初戦敗退。
その後は明治大学に進学し才能が開花。東京六大学野球連盟を代表する投手に成長する。4年春に歴代2位(戦後最多)となるシーズン107奪三振を達成。これは1925年秋に湯浅禎夫が記録した109奪三振以来、79年ぶりの3桁奪三振記録である。また、同シーズンには六大学史上最速の154km/h(当時)を計測し、8勝3敗の成績を上げる活躍を見せて、1993年春以来12季ぶりとなる完全優勝に貢献、ベストナインに選ばれた。第53回全日本大学野球選手権大会では完全試合を記録。大学通算52試合登板26勝15敗、防御率2.00。通算379奪三振は歴代5位の記録。
後述の問題もあって大きく騒がれた2004年のドラフト会議では、新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスに自由獲得枠で入団。背番号は大学時代と同じ11。入団記者会見の席上で将来のメジャー挑戦を宣言。入団の記者会見にもかかわらず退団を前提とした発言であったため物議を醸した。

2005年は球団が創設された年だったため、選手層の薄いチーム事情もあり、新人ながら一軍で先発ローテーション入りを果たす。しかし、同年5月19日時点で0勝7敗・防御率7.15と散々な成績となり降格。再昇格後となった8月27日の対西武ライオンズ戦(西武ドーム)では、西口文也が9回を完璧に抑える中で一場も9回無失点に抑える力投を見せ、勝敗は付かなかったものの完全試合献上を阻止。9月3日の対オリックス・バファローズ戦(フルキャストスタジアム宮城)では9回2失点(完投)でようやくプロ初勝利を挙げ、球団シーズン100敗を阻止した。しかし序盤の不振が大きく響き、2勝9敗1セーブと期待を裏切る成績で終わってしまった。
2006年は岩隈久志・セドリック・バワーズの出遅れによって開幕投手を務める。好投したものの打線の援護なく黒星を喫したが、2度目の登板でチームのシーズン初勝利、3度目の登板となった同年4月7日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)ではチームの連敗を止め、自身もプロ初の完封勝利を挙げた。前半戦で5勝を挙げる活躍したが、前述の岩隈やバワーズの故障で他の投手も不安定だったことから一場にかかる負担は大きくなり、交流戦以降は2勝8敗と大きく負け越した。最終的には最多敗戦数(14敗)、最多被本塁打(22本)など不名誉な「8冠」を手にしたが、一方で先発不足に喘いだ楽天にとって唯一、シーズンを通して先発ローテーションを守り[2]、球団生え抜き投手では第1号となる規定投球回を満たしてチーム勝ち頭となる7勝を挙げた。

2007年はオープン戦から不調が続き、開幕を二軍で迎える。4月に昇格したが、4月7日の対千葉ロッテマリーンズ戦(フルキャストスタジアム宮城)で3回途中降板、4月15日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)には中継ぎとして登板したが、5回を18被安打・14失点と散々な結果となり、さらに右肘の炎症を起こして降格。7月27日の対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)では3回から中継ぎとして復帰。8月16日にシーズン初勝利を挙げると、これ以降は防御率2点台の好投を続け、最終的に後半戦だけで6勝を挙げ、球団初の最下位脱出に貢献した。
2008年は前年に受けた視力回復手術(レーシック)の影響で右目の角膜炎を起こし、1月中旬に入院。右目視力は0.04まで低下し、一時は失明の危機もあったが、驚異の回復力で開幕に間に合わせ、先発ローテーション入りを果たした。しかし、同年4月8日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で、味方打線が7点加点した後の3回裏にひっくり返され、降格となった(7点差からの逆転負けは楽天史上初の不名誉記録)。その後は秋に再昇格したものの、先発した試合は結果を残せず、未勝利。
2009年の春季キャンプから佐藤義則と共に下半身主導となる投球フォームへの矯正に取り組んだ。しかし、オープン戦で結果が残せず、同年3月23日に宮出隆自との交換トレードで東京ヤクルトスワローズへ移籍。背番号は43。

2009年4月11日の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)に先発として初登板、5回無失点で移籍後初勝利を挙げた。しかし、その後は結果を残せずに降格すると、相次ぐ不振を打破すべく、7月に腕をやや下げるスリー・クォーターへのフォーム変更を試みた[4]。8月20日の対阪神タイガース戦(明治神宮野球場)に先発するが、3回9失点で敗戦投手となり、3度目の降格となった。この年は1勝5敗・防御率7.88と期待を大きく裏切る結果となった。
2010年はシーズン通して一軍へ昇格できず、プロ入り初の一軍登板なしに終わった。
2011年は開幕から出遅れ、オールスター後も一軍昇格できずにいたが、9月22日に2年ぶりに一軍へ昇格。
2012年は一軍昇格すらできず、10月2日に球団から戦力外通告を受けた。その後、11月9日に行われた12球団合同トライアウトに参加したが[7]、オファーはこなかった。その後も12月23日に韓国プロ野球(KBO)の高陽ワンダーズの入団テストを受けたが、合格できなかった。

2013年に東京都東久留米市の看板のデザインを作成する会社に1年勤めた後、2014年1月、楽天時代の同僚・紀藤真琴が執行役員を務める茨城県水戸市に拠点を置く通信機器販売会社「パーソナル電電」に入社。同社の営業マンとして勤務する一方、紀藤が主宰する野球教室「紀藤塾」で子供達に野球指導も行っている。2015年9月に「パーソナル電電」を退職後、2019年8月まで外資系保険会社で勤務していた。
同年11月10日、自身のYouTubeチャンネル「一場靖弘のBASEBALLチャンネル」を開設し、将来的な指導者になることを見据えYouTuberとして活動していく。

スポンサードリンク

関連記事

関連カテゴリ

takamna

ノーマルライターです。

ピックアップ

ニュース・ゴシップ ランキング

1月19日 ( 日 ) にアクセスが多かった記事はこちら!